人生に、柔和な夜がいくつ訪れるか?
学生時代からの友達と温泉に行くことが好きです。
たいていは夜の9時くらいから始まる会です。
それなりの若者同士が集まれば、熱く語ること(夢とか希望とか)がたくさんあるのではないかと思われがちですが、そんなこともなく。
意味もなくサウナに入って30秒くらいで出てきたり、露天風呂に設置されたTVをみていたらお湯から出るタイミングを見失ったりするようなゆるい会です。
車を出してくれる友人がいるのでそれに合わせて酒も飲みません。むしろ特茶を飲んだりして、いつもより健康的に過ごしています。
僕はそんな他愛ないイベントのある夜を『柔和な夜』と呼んでいます。
普段はつけない風呂上がりの乳液(備え付け)をしているからでしょうか。
どこか角の取れた夜、ぱたぱたとサンダルを鳴らしながら歩く帰り道。
幸せと呼ぶには、まだ少しなにか足りないような。
けれど、こんな柔らかさが、この先もたくさんあってほしいといつも思います。
たとえば何かがすごくうまくいった夜だったり
愛する人と素晴らしい時間を過ごした夜だったり
そんなことは、人生の中で過ごすたくさんの夜の中ではほんの少し、数えるほどです。
むしろ、簡単には眠れないような日が続くことのほうが多いのかもしれません。
だから、僕はこの当たり前をこれからも望んで生きていくのです。
人生の最後、死ぬ間際になって思い出すのは、きっとこんな日のことだと思うから。
おしまい。